タイの有名大学、Chulalongkorn University(チュラロンコーン大学)を訪問、ここを訪れたのは、1996年以来13年ぶりだった。
出張時など、時々前を通る事はあったが、キャンパス内には入らなかった。
この時は以前毎日通っていた文学部の方とは反対側のパヤタイ通りの正門から敷地に足を踏み入れた。
構内バスが走っていたのには、驚いた(2015年の今も走っているだろうか?)。
元々は官僚養成の為に設立された学校(よく比べられるタマサート大学は元法律学校であり、マハーウィタヤライ・タマサートと呼ぶ)
当大学は、チュラロンコーン・マハーウィタヤライと大学という単語の前に大学名を持ってくる。
学生の事をニシットと呼ぶのはこことカセサート大学のみ
新入生(女子大生)は、白い靴にソックスを履く事になっている。
シンボルカラーはピンク(1935年から始まったタマサート大学とのサッカー対抗戦時に決められた)。
タイ語を習いに通っていた時には、映画(もしくはTV)の撮影が行われていた。
聞くと古い建物は時々撮影に利用されているとの事だった。
この日ばったりとお世話になった文学部の先生とお会いできたのも嬉しかった。
定年前の先生に文学部のコースに通っていた当時のゴタゴタに関し、学内にも政治がある事をちらりと聞く。
〜チュラロンコーン大学の歴史(大学の公式ウェブより抜粋)〜
チュラロンコーン大学の正式な成立は1917年3月
ラマ5世(チュラロンコーン大王)の手による植民地支配に対抗する政府機関の強化を目的として、設立
1871年に王宮に隣接した場所に教育機関を設立
1882年にSuankularbの名称
1899年、時の内務大臣Prince Damrong Rajanupad(チュラロンコーン大王の弟)が、校長としてM.R.Pia Malakul=後のChao Phraya Phrasadej Surendradhibodi を迎え、Civil Service Traning Schoolの設立を申請
卒業前の3年目にRoyal Page Traineesとしてそれらの生徒は働かなければならなかったので、1902年にRoyal Pages Schoolと名を変更
ラマ6世(Vajiravudh王)は、当初政府業務に焦点をあてられていた当教育機関を多分野で国に貢献する勉学(法律、外交、商業、技術、医療、教員養成)に拡張
1911年1月にthe Royal Pages School をより高度な教育機関にし、the “Civil Service College of King Chulalongkorn” と名付けられた。
The Civil Service College は王族や官僚、国民からの寄付によりチュラロンコーン大王の像を建立
寄付に合わせて、残り約800,000バーツをthe Royal Treasury Ministryより得て、合計982,672バーツにて像は完成
ラマ6世(Vajiravudh王)は、大学設立の最初の資金を出し、それのみならず大学の土地として兄弟であるのちの皇太子(Vajirunhis)の土地を寄付
また将来の拡張の為に523エーカーものPatumwan地区の宮殿の土地も与えた。
1917年3月27日、ラマ6世はチュラロンコーン大学と名称を代える事を宣言
初代学長はPhraya Anukijwithoon
University Councilが設けられ、王子Damrong Rajanupabが会長に、幹事長には学長が就任。
設立時には380名の学生が2つのキャンパスで4つの専攻から開始
1923年、大学は高校卒業者をロックフェラー財団の援助によるプログラムにて医学部に
5年後に最初の組18名の卒業生が出た。タイ王国で最初の有資格者
1929年、Public Administration部がLaw and Political Scienceとなる。
1932年の立憲君主制に移行後の1933年に政府はこの学部を1934年に設立のタマサート大学へ移行。結果、チュラロンコーン大学はこの間3学部のみとなった。
1934年から1958年の間は学部教育の充実に力を注ぎ、1961年に大学院を設立、1962年からは、大学院教育に力を入れ、各種リサーチセンターや施設の設置を開始した。
Chulalongkorn University(チュラロンコーン大学)
254 Phyathai Road, Patumwan, Bangkok Thailand. 10330
電話: +662-218-3280